PROLOGUE DA HYBRID FREAKS

1999年
BORN IN THE MIXERZ HOLE
当時ヘヴィーミクスチャーロックバンドでGtをしていたMIZROCKは、
それまで、メタルやラウド系を好んでいたにも関わらず「POPな音楽もやってみたい!」と曲作りを開始。
当時のバンド仲間をメンバーに一度限りのライブを敢行。
このとき何気にMIZROCKが歌った(モノ)は歌謡POP一天張りであった。


2000年
THORN WITH MY WIND
ヘヴィーロックバンドをMIZROCKはこの年に脱退し、デジタルラウドミュージックのユニットを組む。
だが、相方のvoと活動の歯車があわないまま時は流れる事になる。
この時期にもHYBRID FREAKS用の曲は書き溜められてあった。
「ただ、当時自然に溢れてくる音は何故か異様に優しいモノやった」とMIZROCKは語る。
メロディーへの異常なまでの執着心がHYBRID FREAKSの真骨頂であることはこの時期から変わってなかったという。


2001年

LOUDER THAN VOICE
MIZROCKは友人から「HYBRID FREAKSをやるべきだ。」との言葉を投げかけられる。
あくまで、自分のパーソナルなものであった存在をバンドとして成り立たせることの恐怖感・・・。
バンド形態へのカムバック・・・。
友人の言葉を信じ、HYBRID FREAKSをバンドとして立ち上げる決心をしたのはちょうどこの年の話だ。
この時がHYBRID FREAKSの「存在」という意味での大きなターニングポイントになっている。
「どーせバンドにするんなら、自分がやりたいプレイヤーとやる!」
自分がリスペクトできる人間、それはプレイヤー的にも、人間的にもリスペクトできること。
すぐにバンドをするにはリズム隊が必要なわけで、とりあえずMIZROCKは歌とGtを兼任していた。


BOTTOM DANCER
この年の夏に、仕事先の後輩でもあり、友人の弟であるU-SUKEがメンバーとして加入する。
以前からU-SUKEはMIZROCKの作ったデモテープを聴いて、お気に入りになっていた一人であったのだ。
MIZROCKがまだドラムを叩いていた頃、U-SUKEとは何度か同じバンドでリズム隊を分かち合った事があった。
コピーもオリジナルも、野外もデカイ箱も共にしたことがあったのだ。信頼の置ける仲だった。
だから話が早かった。時間はかからなかった。ただ二人はカッコイイものを作ろうと。
ジャンルのレンジが広い二人にとっては、この始まりも偶然であり、必然であったのかもしれない。


12月になると、サポートドラマーを起用し、ライブもせぬまま2曲入りのdemo-CDを製作。
これが今や幻中の幻といわれる「demonoized」であった。


2002年
DISTORTIONAL HEAVEN
「HYBRID FREAKSのGtはこいつしかいない!」
と、数年前に見たDAIのプレイを見たときの衝動を思い出していた。
MIZROCKとDAIは友人を通して高校生の時から知っていて、お互いのライブを見に行ったりするバンド友達だった。
DAIは幾つもの女性ボーカルバンドを経験し、独特のギターフレーズを持っている職人肌のプレイヤーだ。
そして話をしていて好感が持てる好青年というのがDAIのイメージであったMIZROCKは、DAIが以前組んでいたバンドが解散したという話を聞いて、DAIの家に出来たばっかりの音源と手紙を送りつけるという暴挙にでる。
幾度かのミーティングを重ね、とりあえずは4月にDAIがサポートとして加入することが決まる。
月一本というスローペースのライブをしながら曲作りの日々が続いた。


BATTERY CLUNCH

12月になると、DAIがサポートとして加入した時期からラブコールを送り続けていた、MIZROCKの良き友人でもあり、バンド仲間であったSATORUが正式加入。正式加入するまで半年もかかったのには大きな理由があった。
SATORUは以前組んでいたバンドで全国ツアーや、年間120本近くのライブを繰り広げ、もはやバンドを組むことに対して、ある種の疲れと、拒絶が同居してしまっていたのだ。
持っていたドラムセットも手放し、同年6月頃は音楽と無縁の世界に居たことも事実だ。
そんななか、12月にあるライブ一本だけのサポートという約束でSATORUはメンバーと共にスタジオ入りする。
3時間のスタジオが終わり、十二分に音のコミュニケーションがとれたSATORUの口から出た言葉は
「俺このバンドやるわ。」だという。
マフラーと手袋が必要な季節の話である。


RESTART
期を同じくして、DAIも正式加入。
MIZROCK、DAI、U-SUKE、SATORU。
この四人が集まった、この時こそが本当の意味でのHYBRID FREAKSの幕開けを意味する事となる。


RESET DA HYBRID FREAKS

2003年
ROAD OF THE SUN
メンバーの揃ったHYBRID FREAKSは水を得た魚の如くライブ活動のレンジを広げる。
月に敢行されるライブも日に日に数を増していく。

4月には地元神戸のライブハウス「ARTHOUSE」の協力を得て二曲入りのMaxi-CD-Rを発売。
収録曲の「ORANGE」は現在に至るまでHYBRID FREAKSを支える巨大なアンセムと化すことになる。

5月神戸メリケンパークにて、初ストリート野外ライブ。

7月には二枚目のMaxi-CD-R「4 leaf c.LOVE.r」を300枚限定で自主製作する。

8月にはHYBRID FREAKSとしては初めて海を越え四国に上陸。

9月、11月には淡路島にて合宿。血と汗と涙の地獄合宿を経て一つの皮が破れようとする。

11月27日。神戸チキンジョージでの初ワンマンライブ。250人を動員。
バンドの一つの転機となる。


2004年
LIKE A JET SONIC REVOLUTION


2月初のアルバムレコーディングの為、再び淡路島に飛ぶ。
レコ、マスタリングまで、三週間メンバーは島に篭る。

4月4日。1stアルバム「HYBRID ROCK SYSTEM」発売。現在もセールスを伸ばしているアルバムの誕生日だ。

翌4月5日には神戸チキンジョージで二度目のワンマン「HYBRID ROCK SYSTEM」を敢行。300人を動員。

そして2004年は4月〜6月を1st stage 「We stand Ablaze」、7月〜9月を2nd stage 「Reborn-INSD」、
10月〜12月を3rd stage「Raising floor , Burst with MZK」と題し全国を横断。

10月22日から24日まで大阪で開催された関西秋の大型フェスティバルである、
FM802主催「ミナミホイール2004」に出演。

11月17日、18日の二日間、淡路島にて新曲「SPEED RIDE SQUAD」レコーディング。
この音源は年末のワンマンに無料配布される約9ヶ月ぶりのアイテムとなる。

2004年の活動は12月27日のツアーファイナル神戸チキンジョージワンマンまで日本各地を横断する。


2005年
PEACE MAKE and TWISTERED year


2005年に入り、1月から3月を「Speeding <RIDE> hedphonez tour」、
4月から6月を「Breed the DRAGO-NOID tour」と題し全国区で活動。

4月には、これまで活動を共にしてきたDr.SATORUの脱退劇が起こる。
HYBRID FREAKSのリズムの要であるSATORUの脱退により、急遽S.W.G.P.のDr.NAOMICHIのサポートでライブ再開。


6/10 , 6/11の2デイズに渡り、神戸、大阪でのイベントを大阪の盟友COLOREAL ZPTと開催。
大盛況の中イベントを終える。

7月にはHYBRID FREAKSの総合プロデュースを務めるproject TEAM UNDERBEASTの新主催イベント
「Generate Mob Party」を立ち上げる。「Generate mob」の名の元に、今後も技量、ステージング、楽曲の卓越された、
アーティストが全国より召集されイベントも規模を拡大していく予定。

Battle per POINT
8月には、待ちに待ち望まれた新ドラマーが加入決定。
サポートNOAMICHIを会して、新ドラマーにTOMOKIを迎える。
幾度たるオーディションの中から選考されたTOMOKIとのリハーサルは6月の半ばからスタートし、
8月のライブでお披露目となった。

8月末、大阪の服部緑地野外音楽堂で開催された「SUMMER STREAM'05」に出演。

9月には、自主レーベルUNDERBEAST recordsより、TOMOKI加入後、初音源となる
「Sublimity EP」をリリース。それに伴い「BLOOD RED TWISTER tour」で全国を再度巡業。

12/9にはツアーファイナルとして4度目となる、ワンマンライブを神戸ARTHOUSEで敢行。
満員御礼の大盛況の中2005年の活動を終了する。


2006年
new RE-gend

2006年に入り、ライブ活動の幅を、更に全国区へと変動させる。

4月に入り、しばらく発表していなかった新曲への着手へと取りかかる。

5月、神戸祭りと連動した、関西最大の無料野外イベント「GOING KOBE」へ出演。
8月にはUNDERBEAST recordsより、神戸のバンドのみを集めたコンピレーション・アルバムをリリース。
画期的な発想と共に、新天地を求め活動を続ける。

HYBRID FREAKSの勢いはとどまる事を知らない。

2004/09/08 first wrote
2006/10/16/additional wrote